歴史教科書が教えてくれない

聖徳太子英雄物語

なぜ聖徳太子はあえて天皇にならなかったのか?

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あなたは知っていますか?聖徳太子が教科書から消されかけた事件を…

(※2017年2月に文科省が公表した中学校の次期学習指導要領改定案より)

なぜ、聖徳太子は教科書から消されかけたのか?その裏には、皇室を消したい「ある人々」の陰謀が渦巻いていたのです…


ほとんど知られていませんが、実は聖徳太子は、日本の皇統が2000年以上続くことになったある仕組みを考案し、実用化した人物です。そのため、皇室の存在が疎ましい人々は、聖徳太子を消すことで、彼が作った『日本人にとって必要不可欠なある仕組み』の存在そのものを消すための画策を行ったのでしょう。

その陰謀を解き明かすためには、聖徳太子が生きていた飛鳥時代に起こったある事件まで遡る必要があります。ある事件とは、2000年を超える日本歴史で唯一「天皇が臣下に暗殺された」事件です。この事件の裏側を知ることで、聖徳太子が教科書から消されかけたことの全貌が明らかになってくるのです…

天皇を暗殺した蘇我馬子の野望

今から1500年前の飛鳥時代…日本を手中に収めようと画策している豪族の男がいました…その名は蘇我馬子。

「いつか、この蘇我の手中に日本を収めてみせる」彼には、このような野心がありました。

しかし、蘇我馬子には物部守屋というライバルがいました。聖徳太子が生きていた飛鳥時代には、このように蘇我氏と物部氏が権力争いを繰り広げていたのです。


ですが、西暦587年、蘇我馬子が物部守屋に攻撃を仕掛けたことでその均衡は崩れ、蘇我馬子は勝利し、豪族の中で比類なき権力を手にしたのでした。


しかし、蘇我馬子の権力欲は、物部守屋を討ち滅ぼしただけでは収まりませんでした…

天皇暗殺事件という悲劇

当時、豪族である蘇我馬子よりも強い権力を持つ存在がいました。それが、天皇です。


蘇我馬子はあろうことか、天皇の権力すらも我がものとするために、さらなる策を練っていました

その策とは、自分の言うことを聞く人物を次の天皇にして、裏から政治を牛耳ることでした。


当時、次の天皇の有力な候補は二人いたのですが...蘇我馬子はそのうちの一人を抱き込み、もう一人の天皇候補を殺害したのです。

こうして見事、蘇我馬子は自分の息のかかった人物を天皇(崇峻天皇)に即位させることに成功したのです。蘇我馬子は崇峻(すしゅん)天皇に指示して、法興寺を建立するなど...まさに天下は、蘇我馬子のものでした。しかし…蘇我馬子には1つ誤算がありました。それは、彼が操り人形にした崇峻(すしゅん)天皇が蘇我馬子を裏切ろうとしていたことです。

実は、崇峻(すしゅん)天皇は、初めは自分が天皇に即位するのに貢献した蘇我馬子を慕っていましたが...いつしか、彼は自分よりも権力を持つ蘇我馬子を目障りに感じ始めていたのです…


そのことを噂で聞いた蘇我馬子は、危機感をつのらせ、「殺される前に崇峻(すしゅん)天皇を殺してしまおう…」と、崇峻(すしゅん)天皇を偽りの儀式で呼び出し、暗殺してしまったのです…

聖徳太子があえて天皇にならなかった理由

そして、この暗殺事件によって聖徳太子は深い悲しみに暮れていましたなぜなら、暗殺された崇峻(すしゅん)天皇は聖徳太子の叔父さんだったからです。


ほとんど知られていませんが、聖徳太子は皇室の血筋であり、また生まれながらのエリートであったため、暗殺された崇峻(すしゅん)天皇の次の天皇の候補には聖徳太子の名前が挙がっていました。まさに彼こそが次の天皇になるべきだと皆が思っていたのです。


しかし、聖徳太子は天皇になりませんでした。つまり、聖徳太子は天皇になることを望まれていたにもかかわらず、あえて天皇にならなかったのです。それはなぜでしょうか?それには自分の叔父さんである崇峻(すしゅん)天皇の暗殺事件が深く関わっていました。


聖徳太子は二度とこのような悲劇を起こさないように、ある戦略を考えました。そして彼が考えた戦略こそ、途切れること無く現在まで皇統が続くために無くてはならないものだったのです。

なぜ崇峻(すしゅん)天皇が暗殺されたのか?

では聖徳太子が考えた「悲劇を起こさない戦略」とは何だったのか?聖徳太子はまず、なぜこの暗殺事件が起こったのか、その原因を考えました。そしてある結論に達したのです。


それは「一人の人間が絶大な権力を持つ構造」が暗殺事件の原因であるということでした。つまり、一人の人物が絶大な権力を握ると、その権力を巡って闘争が起こる。その結果、暗殺事件が起こってしまったということです。

この図のように、一人の人間が絶対的な権力を握ると、、、

この図のように絶対的な権力の座を奪おうと企む者が現れます。

しかし、君主は絶対的な権力を誰にも取られたくありません。

だから、この図のように権力闘争が起こってしまうということです。

実際、崇峻天皇までの天皇陛下は天皇の血をひいているという伝統の権威があることはもちろん、政治のトップに君臨していて、絶大な権力を握っていました。そしてこのような「権威」と「権力」を握った一人の人物がいると必ず闘争が起こるということを歴史が証明しています。


例えば、海外の王様の一族は権威はもちろん、絶大な権力を持っているため、権力の奪い合いが頻繁に起こりました。スペインの王の座をフランス人が奪ったり、イギリスの王の座をドイツ人が奪ったり…泥沼の戦争が絶えず起きてしまったのです。


実際、欧州では14世紀から18 世紀の間だけで、20回以上も王位継承権を巡って戦争が勃発し、権力闘争が繰り返されています。欧州だけではありません。中国でも王朝は何度も何度も入れ替わり、その度に権力闘争が起こっています。


このように「一人の人間が絶大な権力を持つ構造」の国では、その権力を巡って何度も争いが起こってきたのです。このような構造を理解した聖徳太子は、彼以前も以後も世界中の誰も考えつかなかった戦略を見出したのです。

日本だけ万世一系の皇統2000年が続くカラクリ

聖徳太子が考えた戦略とは、この図のように「権威」も「権力」も持っていた天皇から「権力」を切り離すことでした。

つまり、「権威」も「権力」も持っていた天皇から「権力」を切り離すことで、天皇は極力、政治の表舞台には立たない構造にしたのです。

先程も述べたように、次の天皇に聖徳太子がなることはできたのですが、あえて自分は天皇の座を捨て、政治のトップとして権力を握ることにしました。そうして、推古天皇を天皇にし、自分は日本初の摂政となったのです。つまり、聖徳太子が政治の表舞台に立ち、推古天皇は政治に関わらず、権威として日本を支える存在となったのです。実際、推古天皇は隋の使者の接見すらせず、聖徳太子に任せていました。


こうすることで、政治の表舞台に立たない天皇は権力闘争に巻き込まれることは無くなったのです。日本の歴史を振り返ると、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、時の権力者は次々と変わって来ましたが、政治の表舞台に立たない天皇は打倒されること無く、現代までずっと血筋を繋げて来ています


このような「権威」と「権力」を分ける構造をとっている国は日本以外に無く、どの国も権力闘争を繰り返し、同じ国民同士で多くの血を流してきたのです。まさにこの「権威」と「権力」を分ける聖徳太子のアイデアこそが、世界で日本だけが万世一系の2000年以上続く皇統を持っている大きな要因の1つだったのです。

GHQが日本人に仕掛けた2つの洗脳

ここまでの話を聞いてあなたはどう感じましたか?もしかしたら、聖徳太子の話は教科書ではたった1,2行しか習わず、一度に10人の話を聞けるということくらいしか知らなかったかもしれません。その教科書のたった1,2行の中には、これほどの物語が詰まっているのであり、聖徳太子こそ日本の礎を築いた英雄だったのです。

しかし、このような功績のある聖徳太子が、教科書から消されかけました。それはなぜなのか?その原因の大きな1つは戦後に行われたGHQの「検閲」と「教職追放」です。


戦後、GHQは占領期間に、日本が2度と立ち上げれぬよう日本人の精神を破壊し、日本の歴史を消し去るために、「検閲」と「教職追放」を行いました。GHQの「検閲」によって教科書や新聞をはじめ、国民の目に触れるすべてのものがGHQにとって都合の良いように書き換えられました。

さらに、日本政府内の1万人に及ぶ検閲従事者が電話での盗聴、私信の開封も公然と行い、違反したものには「沖縄での重労働3年」なる刑罰が課されていました。


また、「教職追放」とは日本の歴史を教えていた多くの教員/教授を戦争協力者として追放するものです。このGHQの「検閲」と「教職追放」によって、12万1000人の教員が職を奪われましたその空いたポストに戦前の犯罪者や共産主義者が大量に流れ込んだのです。

歴史学者に捻じ曲げられた日本の歴史

こうして、大学から小学校に至るまで、戦後の歴史学会、歴史教師は戦前の犯罪者や共産主義者で充たされ、歴史学は反日左翼の巣窟と化していきました


そのため、私達は教科書では十七条の憲法など当たり障りのないことしか学ぶことができません。しかも、冒頭でお話したように2017年には聖徳太子の存在そのものまで消されかけたのです。

特に聖徳太子の時代のような古い時代は、近代に比べて客観的な証拠が少ないので、反日教育を刷り込むための格好の材料とされてきました


その結果、歴史の教科書ですらウソが書かれてしまい、歴史を学べば学ぶほど愚かになるようになってしまいました。しかも、古い日本の歴史で捻じ曲げられたのは聖徳太子だけではありません。


「天皇の祖先は朝鮮人だ」

「神武天皇から開化天皇までは架空の天皇だ」

「騎馬民族が、日本を征服し大和朝廷を立てた」

など、日本を貶めるようなウソがはびこっているのです。


このようなウソを刷り込まれることで、日本人の子供たちは自虐史観に染まり、日本人である自らの存在を軽視し、誇りを持てなくなってきています。このままでは、世界最古かつ最長の文明・そして世界に誇るべき2000年を超える皇統を持っているのにもかかわらず、これから日本を受け継いでいく子供の代や孫の代には、古来から続く日本民族としての一体感と誇りを失い、日本人としての魂が完全に消えてしまうかもしれません。


しかし、自虐史観にも、もちろん皇国史観にも染まらず、客観的な事実とデータを基に歴史を読み解いていくと、日本の歴史教育は…特に日本の古代史はいかに「嘘まみれだったのか」ということが分かってきたのです。


そのために今回、三橋貴明は日本人の正しい歴史を取り戻すために新書籍を作成しました。その新書籍が「歴史教科書が教えてくれない聖徳太子の英雄物語」です。

歴史教科書が教えてくれない

聖徳太子英雄物語

なぜ聖徳太子はあえて天皇にならなかったのか?

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目次

第一章

古代エジプトに引けを取らない日本の古墳文明

・島国日本の文明はいかに大規模だったか・・・p8

・巨大建築物の建設に絶対必要なもの・・・p12

・仁徳天皇陵は世界最大の墓標・・・p19

仁徳天皇がいなければ大阪の繁栄はなかった!?・・・p25

・古墳からわかる日本各地の交流と関係・・・p34

・古墳文明に対する自虐史観の難癖・・・p36

第二章

皇統断絶の危機

・過去にもあった日本国の男系皇統の危機とその歴史・・・p46

・内政面でも外交面でも大きな影響を与えた仁徳天皇・・・p48

・安康天皇の御代から始まった皇統断絶の危機とは?・・・p52

「古事記」に書かれた混乱に次ぐ混乱・・・p59

・皇位継承のライバルをすべて排除したワカタケル・・・p62

短命の天皇が続きいよいよ男系皇統は断絶の危機に・・・p70

・いかにして神武天皇以来の皇統が続いたか・・・p73

・まるで違う古事記と日本書紀の記述・・・p76

・中国史の影響を受けていた数々のエピソード・・・p79

・当時の日本人もやはり男系にはこだわった !?・・・p83

・男系皇統には知られざる目的があった・・・p88

・継体天皇はなぜ手白香皇女を皇后に迎えたのか?・・・p94

・継体天皇新王朝説を唱える人たち・・・p99

第三章

日本に伝わった仏教と聖徳太子の時代

・仏教が日本に伝わるまでには千年かかった・・・p108

・百済側が日本に仏教を伝えなかった理由・・・p114

・日本書紀に書かれた仏教公伝・・・p118

・神道VS仏教 物部VS蘇我・・・p123

・仏教を廃絶する絶好のチャンス・・・p125

・疫病と宗教は世界の歴史でも密接な関係にあった・・・p128

・古代日本のクライマックス聖徳太子の誕生・・・p133

・日本国の路線を決めた大政治家・聖徳太子・・・p138

・日本国憲法により基本的人権が保障されている・・・p141

・「権威」とは人々が権力者を認める理由・・・p146

・由緒正しき血筋には権威が備わる・・・p149

・日本の皇統が二千年以上続いた本当の理由・・・p153

第四章

なぜ聖徳太子は天皇にならなかったのか

・イエスも聖徳太子も馬小屋で生まれたという誤解・・・p166

・崇仏派と廃仏派 骨肉の争い・・・p172

・権力と権威を分離することの意味・・・p178

・天照大神から続く日本人の気質と考え方・・・p184

・聖徳太子はなぜ十七条憲法を作ったか・・・p190

・政治について「徳」が最も重要と宣言・・・p194

・大国へ国書を持たせ小野妹子が使節に・・・p198

・飛鳥の朝廷で裴世清が謁見したのは聖徳太子だった !?・・・p205

・聖徳太子が建てた最初の寺四天王寺・・・p208

・やわらぎを大事にしなさいという聖徳太子の教え・・・p212

・法隆寺は世界最古の木造建築物・・・p218

・大地震でも倒壊しなかった日本の五重塔・・・p222

・聖徳太子否定論がいまだに蔓延る歴史学会・・・p230

・マルクス主義者が問題視する十二条と十六条・・・p235

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著者紹介

三橋貴明

TAKAAKI MITUHASHI

経世論研究所所長。作家・経済評論家。中小企業診断士。1994年、東京都立大学(旧:首都大学東京)経済学部卒業。外資系IT企業ノーテルをはじめNEC、日本IBMなど を経て2008年に中小企業診断士として独立、三橋貴明診断士事務を設立した。2007年、インターネット上の公表データから韓国経済の実態を分析し、内容をまとめた『本当はヤバイ!韓国経済』(彩図社)がベストセラーとなる。

単行本執筆と同時に、雑誌への連載・寄稿、各種メディアへの出演、全国各地での講演などに活躍している。また、推定ユーザー数40万人のブログ、チャンネル登録者数45万9千人超のYouTubeチャンネルを運営するなど、ネット上でも精力的に活動している。

出演実績

【TV出演】

ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)/田原総一郎司会の朝まで生テレビ(テレビ朝日)/ザ・ゴールデンアワー(TOKYO MX)/モーニングCROSS(TOKYO MX)/なんでもカウンセリング 〜You&Me〜(ラジオ関西、エフエム富士制作)/報道ワイド日本 Weekend(日本文化チャンネル桜)/日本よ、今…「闘論!倒論!討論!」(日本文化チャンネル桜)/たかじんNOマネー(BLACK)(テレビ大阪)/激論!コロシアム 〜これでいいのか?ニッポン〜(テレビ愛知)

【ラジオ出演】

夕やけ寺ちゃん 活動中(文化放送)/おはよう寺ちゃん 活動中(文化放送)

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