かつてローマの歴史家クルチュウス=ルーフスはこう語りました。
この言葉からもわかるように、未来は誰にも予測できませんが、歴史は過去と同じパターンで動くことが多いからこそ、歴史から教訓を得る必要があるのです。そして、その歴史を動かすものこそが、経済です。
なぜいきなりこのようなことを言い出したのかというと、、、
登場人物は違えど、日本が今置かれている状況は、かつて大蔵大臣である井上準之助が昭和恐慌を引き起こした頃の日本に非常に似ているからです。
「超不景気にもかかわらず、緊縮財政」という愚行に走った男、それが井上準之助。
彼は、第一次世界大戦後の戦後デフレ、関東大震災、金融恐慌によって国民が困窮している中で、 緊縮財政を断行するというとんでもない失策を犯しました。
さらに、金本位制を日本に復活させるも、ニューヨーク株式市場の大暴落も相まって、激しいデフレを引き起こしました。
その結果、緊縮財政に世界恐慌が重なり、日本は「昭和恐慌」と呼ばれる経済危機に陥りました。これを機に、日本は深刻なデフレ不況へと突入します。
銀行や企業の休業や倒産が相次ぎ、当時の国内人口約6000万人に対して失業者は250万人。約3割の小売商が倒産か夜逃げを迫られるという惨状で、街は失業者で埋め尽くされました。
当然のごとく農家の貧困も激しく、特に東北地方の困窮は深刻でした。
ご飯をろくに食べることのできない子どもが村に溢れ、生活苦から自分のお腹に宿る胎児を、お腹を殴って殺したり、生まれてきた乳幼児を膝や布団で窒息死させたり、挙げ句の果てには、一家心中が相次ぐなどまさに地獄絵図のような光景が広がっていました。
さらには、婦女子の身売りが大きな社会問題に発展。
村には「身売り相談所」が設置され、自分が必死に育てた娘を遊郭や売春宿に売りに出すことで借金の返済に当てたと言われています。
このように緊縮財政がもたらしたデフレ不況は、日本の国力をどん底まで叩き落とすこととなりました。
この後、一時的に高橋是清の推進した積極財政のおかげで、日本は世界恐慌からいち早く抜け出しましたが、 1932年の犬飼首相射殺事件、1936年には高橋是清蔵相殺害事件など、 将来の展望を見出しえぬ不安と絶望が社会に浸透し、日本はまさしく暗黒時代を突き進みました。
もしも井上準之助の愚策による昭和恐慌がなければ、
もしも、緊縮財政などをせずに国民を救う策を実行し、国際的な危機に対応するだけの国力を整えていたら、 日米開戦、そして敗戦という日本の歴史は変わっていたかもしれません。
なぜなら、戦争が起きる時は国同士の力関係が、力と力のバランスが崩れたときに起きるからです。
アメリカは第二次世界大戦が始まって以降、さらに大規模な財政支出を実行しました。
開戦前の1940年に18億ドルだった軍事への歳出額は、たった5年で約45倍の805億ドル(1945年)になるなど「大きな政府」へと変貌を遂げました。
積極的な財政が設備への投資、雇用の拡大を呼び、航空機30万機、貨物船5000隻、揚陸艇6万隻、タンク8万6000台という圧倒的な生産能力によって相手国を潰すという戦争の勝利の方程式を確立させました。
「本気を出したアメリカの経済成長」は凄まじく、
これによって崩れたパワーバランスが戦争への道を切り開くことになったのです。
もし日本が、アメリカより15年以上早く同じことをしていたら、日本とアメリカのパワーバランスは拮抗していて、戦争が起きるという事態に陥っていないかもしれません。
戦争というと、「誰がやったのか、何をしたのかばかり」が注目されますが、実は経済政策の良し悪しによって国の運命が決まるのです。
つまり、近代の戦争を語る上で最も大事な要素が、経済なのです。
しかし、これまでお伝えした話は、ただの歴史上の出来事として、
「そういう時代もあったんだな」と考えていてはいけません。
なぜなら現代の日本は「あの戦争前夜」と酷似しているからです。
そして、もしこれからアジアで大戦争が起きるとしたら....
その原因は、